海に落ちてから

海に落ちたりごたごたしていた中で、いつの間にかスマホがお休みモード(そんなのあったのも知らなかった)になっていたらしい。母から何度か着信があったらしいが、気付かずにいた。
年が明けて夫が仕事のために単身赴任先に戻り、わたしはまた前のように呑んで呑んで呑んでいた。何気なくスマホを見たら着信ありの表示。また店長か~と思いかけ直す。今後どうするか、を話し合うために店に来るようにとのこと。5日に行くことになった。気がとんでもなく重い。
なんとか身支度をして家を出たら、着信。今度は地区長で時間の変更指示だった。
指示された時間に店へ行くと入り口で2人が待ち構えていや、出迎えてくれた。奥の倉庫に通される。
地区長から事情聴取。傷跡を見させられて写真も撮られた。
これからどうしますか?と意思確認。会社側は本人の希望で退職したということをはっきりさせておきたいらしい。もう、こちらでお勤めすることはできません。と伝えると、退職願とか有給消化など手続きがするすると進み、判子を忘れたのでそれは後日ということで、話が終わり店の出口まで見送られて(店内で暴れたりしないように見張られている感じ)店を後にした。
エクゾーストしてまた家のダイニングのいつもの席で呑んでいたら、突然母が来た。
「あんたに全然連絡がつかないから、心配になって」と言う。夫に電話をして、これから家に向かうと言うと、子ども達もいるから大丈夫と言われたが、心配だからと半ば強引に来た。わたしは部屋を片付けないとと思ったが気力、体力がわかずにダラダラと呑んでいた。この頃ご飯はどうしていたのか記憶にない。ある物を適当に食べていたのか?夫が冷蔵庫をパンパンにしていってくれていたから。
インターホンが鳴って母がそこにいた。覚悟していたのか、部屋の惨状をみても何も言わなかった。
とりあえず助けてくれた方と警察に挨拶に行こうということになった。手土産?を買いに行って(タオルと靴下は新しいのを買ってお返しした)電車とバスで海の近くの交番に行った。みぞれ混じりの寒い日だった。交番は非番の日で、翌日に改めることにして家に帰る。みぞれで挨拶品の紙袋が破けたりして大変だった。
 翌日、母がこういう事(謝礼、謝罪?)は午前中にしたほうが良いというので慌てて身支度をしてバス停に急ぐ。
昨日、連絡をしていたからか交番にお巡りさんがいて対応してくれた。助けてくれた方のお住まいは教えてもらえなかったので、お巡りさんに渡してもらうように託した。やはり、手紙を書くべきだった。直接お礼が言えるものだと思っていた。
 家に帰り、少し休憩。自分がしてきたことの酷さを改めて思い反省する。母はしてしまったことは仕方がない。これから償い続けるしかないと言い、部屋の片付けを始めた。わたしも少しずつ部屋中にあった箱(飲み終わったワインの)をまとめて捨てたり、瓶をまとめて捨てたり、とにかく2人で目に付くゴミを全て捨てていった。久しぶりに掃除機をかけ、床を拭いた。ダイニングテーブルの向きを変えてみんなが座りやすいようにした。(それまではほぼわたしが座ったり寝たり、3脚を独占していた
)
お母さんが手伝ってくれて、家中のゴミを捨ててすっきりしたら、今度はこのままではいけないと猛烈に焦り始めた。
今まで浴びるように呑んでいたお酒をすっぱりと止めて真人間になり、家族に今までしてきたこと(というかしてこなかったこと、家事、育児の半ば放棄)を詫びた。
片付けていた時、猿田彦様の「悪い人は嫌いです。良い人を助けます」という言葉が書かれた紙が出てきて、好きな物を一つやめて、お参りすると良いとあり、もう絶対にお酒をやめようと誓う。そもそも好きで呑んでいたわけではない。勧められたりつきあったりで苦手なのにどんどん飲んでいき、最終的にゆっくり死ぬ手段として呑んでいた。呑むことで嫌なことを忘れたり、言ったりしないようにしていたし、ヘラヘラと現実から嫌なことから目をそらし、楽しいことばかりを求めて、死にたい現実を少しでもましにして生きていた。でも、あの時海に落ちた時、死にたかった自分が死んだ。暗くては寒くて臭い死から救われたわたしは、もう全然死にたいとは思わなくなっていた。だから死ぬための手段であったお酒をすんなりとやめることができたのだと思う。
お酒をやめたおかげで起きている時間が増え、かじを真面目にするようになり、母も手伝ってくれるので、だんだん時間が余ってきた。わたしは求職活動を始めた。